私が持っている沖縄の小品の楽譜には4年前の日付と自分のサインがあります。長い間、皆さんとともに沖縄を思い、ともに学び、ともに歌い続けた時間は、本当にかけがえの無い時間でした。
新型コロナ災害によって、2度も延期せざるを得なかった演奏会、実行委員の皆様のご苦労は並大抵のものではなかったと思います。皆さまの思いと頑張りがあったから、私たちはこの日、心一つに歌うことができました。指揮者の池辺晋一郎先生、金田まりこ先生、能村先生、小野先生、合唱団員の皆さん、当日応援してくださった皆さんに、心から感謝します。
「沖縄の雲へ」の作者である池辺先生と丸木政臣先生は、我が子たちが通った和光小学校の校歌を作ってくださったお二人です。私は今年の8月、恩納岳、摩文仁の丘、ひめゆりのガマなどを一人で訪れ「沖縄の雲へ」とともに過ごしました。ひめゆり資料館では生前、和光小学校でお話を伺った宮良ルリさん、宮城きくこさんに、映像で再開することができました。
「てぃんさぐの花」は、娘が和光小学校を卒業する日、担任の東田先生がクラスで「大切な君たちへ」と、泣きながら三線を弾き、歌ってくださった歌です。
「島唄」の作者である宮沢和史さんは、息子が小学校の時、病気で活動を休止していらっしゃったのですが、和光小学校を訪れ、沖縄への思い、歌への思いを伝えてくださいました。
「芭蕉布」の編曲者である松下耕さんも、お子さんを和光に通わせていて、国境を超えて合唱で平和と愛、祈りをつなぐ活動をされています。沖縄がつないでくれている不思議な縁です。
終わりの見えないコロナ禍、息子たち若者は一番楽しいはずの時代を、人とつながる機会をことごとく奪われて過ごさなくてはなりませんでした。この秋家を離れていくことになった娘が、足の不自由な義母を連れて演奏会に来てくれたのですが、みんなみんな「天からの恵み」の尊い生命なのだよという「童神」に込められた思いが娘たちに届くよう、大切に歌いました。
「沖縄の雲へ」は、みんな等しく尊いはずのその「生命」を犠牲にして、私たちが今の平和を手に入れていることを歌っています。私にとってこの歌は、今も続く犠牲の構造を、私自身が本気で変えていくのだと誓う歌であり、これからも歌い続ける歌になりました。