沖縄の雲へ

ゆさぶりて 碑をゆさぶりて 思い切り
きけどもきけぬ 声をききたし(瑞慶覧道子)
今朝はひとり、梯梧の塔、ひめゆりの塔を訪れました。梯梧の塔に刻まれたこの詩は、生き残った全ての人たちの思いです。
ひめゆり平和記念資料館では、我が子たちが小学校の時にお世話になった宮良ルリさん、宮城喜久子さんら、懐かしい方々の映像に触れ、気がついたら昼下がりでした。
当時、17歳の息子と同年代の学生たちが、戦争の担い手として育てられ、戦場に送り出されました。女子学徒隊は戦火の中、解散命令1つで放り出され、半数以上が帰らぬ人となりました。男子学徒隊は兵士として戦わされ、爆弾を抱えて敵陣に体当たりする特攻兵として消費されました。
みんなみんな「お母さん」「助けて」「ひと目会って死にたい」と叫んで死んでいったそうです。
我が子たちが小学校6年の時、エイサーを踊らせてもらった摩文仁の丘に、平和の礎があります。その碑には、沖縄戦で亡くなった人々の名前が、国籍を問わず、軍人民間人の区別なく刻まれています。沖縄戦などでなくなられた全ての戦没者を追悼し、恒久平和の希求と悲惨な戦争の教訓を正しく継承するとともに、平和学習の拠点とするためだそうです。この平和の礎が建てられたのは娘が生まれた1995年6月だと知り、とても感慨深いです。
礎の間を吹き渡る海からの風に、絶対に忘れない。2度と繰り返さない。そのために、残された時間、もっともっと本気で行動するのだと誓わすにはいられませんでした。