反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」を守り続ける謝花悦子さんは、阿波根昌鴻さんと共に「平和の武器は学習」「理解は力なり」を貫いて来られました。2年前訪れた時と変わらず、お元気で聡明、熱くて素敵な方でした。
謝花さんは小学校2年生の時、足が不自由になり車椅子生活です。「もし、戦争がなければ、早く薬を飲めば治ったはずだ」と医者から聞かされた時のことが忘れられないそうです。
伊江島では、タッチュウの形が変わるほど米軍の爆撃を受けました。そして、戦前も戦後も基地の島として土地を奪われ続けている住民。命からがら島に戻ってきた若者たちが、米軍の占領にあたって、日本軍が残していった武器や砲弾を海中投棄する際、何人も命を落としたこと、戦争が終わっても、伊江島、沖縄では戦争は終わっていないことを繰り返し伝えてくださいました。
写真の山は伊江島のタッチュウです。間もなく81歳を迎える謝花さんの旧友、池上洋通さんのたっての願いで、頂上までご一緒しました。頂上ではアカバナと美しい蝶が出迎えてくれ、360度遮るものは何もありません。
偶然にも、我が息子の小学校の担任で、沖縄学習でお世話になった藤田康郎先生が前の日に謝花悦子さんを訪れていらっしゃり、連絡をくださいました。大事なご縁です。